日曜日の午後
南日本新聞の書評欄に掲載されていた
朝吹真理子さんの著作を探しに図書館に行きまた。
朝吹さんに辿り着く前に
ふと目に止まったのが「人殺しの息子と呼ばれて」という題名の本。
最初はパラパラでしたがそのうち熟読してしまいました。
今26才になるであろう彼自身の事件のトラウマには
「いつかよくなればいい」と答えていました。
親が逮捕された9才からのその後の人生を
淡々と語り、今は会社員として働く彼には頼もしさを感じたけれど
もっともっと理不尽なことに痛めつけられている方々を思うと
微力でも何か出来ないのか、と忸怩たる思いになりました。今は彼もそうしたサポート団体を立ち上げる気持ちが出てきたとのこと。
親を選べない子。
うちの母はACではないかと思えば
納得出来るところはあるけど
だからといって、母自身の幼児体験にしがみ付くだけで、肝心の目の前の我が子にしたことは
今でも全て許している訳ではなく
自分が母に対して何かしてしまう前に
もう金輪際縁切りだ、と何千回思ったことか。
色んな方々のお話や自分の体験を照らし合わせるほどに、これは母に問題があったのだと思える。
姑は無条件に私を娘のように接してくれた。
だから私はずいぶん救われた。母性の愛を姑から知ったと思う。
それをまた嫉妬した母の数々の言動行動。
やっと距離的に離れられたのに
コロナ鬱と言われたら
母を迎えないわけにはいかないじゃない。
同じ轍は踏まないから。母とは違うから。
私だって紙一重だ。
だからこそ今後何か力になりたいと思います。
モヤモヤしたら、歩く!
なんとスッキリ。
さて。
初朝吹さん。
実は彼女の育ちの余りの良さにいじけて
別にいいや〜なんて読まず嫌いだったのですが
なんと理知深くだけど天然で
文学の教養深い且つ勉強家なのだろうと
日曜日の夜じっくりゆっくり読みました。
ヘネシー水割りをちょびっとずつ飲んで。
至福の時間となりました。
母としてこれ以上ないほどの愛情をかけて育ててもらった、と綴る朝吹さん。
私の子ども達もそう思ってくれるだろうか。
佳き日になりますように。